真新しいティッシュ箱から、一枚だけ取りだそうとしても、なかなか思うようにはいかない。大抵、一度に数枚、ひどいときには五枚ほど束になって出てくる。そのとき、少し損をした気分になる。取り出せなかったことはないのに。つまり、一枚でも五枚でもティッシュは“ある”ものなのだ。決して“ない”ものではない。 次は使い捨てカイロを「ある/ない」の例に挙げてみよう。使用後、カイロは存在しているが、もう実際に使われることはない。ゴミ箱行きだ。冷たくなったカイロは、カイロとしての役割を失うと、“ない”ものになりさがってしまうのだ。 そしてさらに、これはぼくの見解だが、“生きている”のも“死んでいる”のもほとんど変わりがないのではないだろうか。かの有名な哲学者が考えたように、両者とも同じ生き物を表すのではないだろうか。つまり、死んでしまったら終わるのではなく、死んでもその生き物の存在があるのだ。“ある”けれど“ない”という意義はそこにある。(そして、ない) ぼくが思うに、生きることに専念しながら、最期を夢見ることは決して恥じゃない。今、すでに生きているのだから、先のことを見つめようじゃないか。
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